東日本大震災から3年
2014年3月12日 23:10 | カテゴリー: 思うこと | コメント (0)
2011年3月11日金曜日、この日の記憶を忘れることはないでしょう。
テレビで報じられる大津波警報の情報を聞きながら、心の中で「避難してくれ、避難してくれ」と叫んでいました。
あれほどの津波が押し寄せるなんて想像もしていなかったし、テレビでも3m、6mという予測でしかなかったのですが、地震直後から「避難してくれ」と心の中で叫んでいたのは、今思えば不思議に思います。
関東地方でさえ震度5前後の揺れ、異様とも言えるほど長い時間の揺れだったことから、直感的にそう叫んでいたのかもしれません。
父の故郷が岩手県で、親戚が大船渡に住んでいることもあり、津波の被害が心配で心配で仕方ありませんでした。
大船渡の親戚はぎりぎりのところで難を逃れ無事でしたが、私も旅行で訪れたことのある大船渡の市街地は壊滅状態。
父の実家から大船渡の親戚宅に向かう途中の陸前高田も壊滅状態。
自分のよく知る地域が壊滅状態となったことは悔しくて悔しくてなりません。
そして、3年が過ぎた今、昨年5月に父を亡くしたこともあってか、津波で家族を亡くされた方の気持ちが、これまで以上に鮮明にわかるようになった気がします。
だからこそ、3年経った状態でも昨年以上に強い悔しさ、悲しさが心にあるのだと思います。
これまで毎日身近にいた人が突然いなくなる。
死んでしまったのだと理解しても、「もう話すこともできない」、「もう会うこともできない」と改めて考えると、何とも言えない虚しさが込み上げてきますし、「もっと話をすればよかった」、「もっとこうすればよかった」という後悔が次から次へと思い浮かんでくるのです。
震災で家族を亡くされた方たちも、このような思いを抱えつつ生活再建に取り組んでいるのだなと考えると、その大変さがこれまで以上に強く鮮明に感じられます。
アベノミクス効果での景気回復や2020年東京オリンピック開催などで、先へ先へと進んでいるように見える日本ですが、被災地を置き去りにすることのないよう、被災地の復興をしっかりと見つめていかなければと思います。
小笠原諸島や沖縄が日本に復帰する前に開催した前回の東京オリンピック。
その当時の小笠原諸島や沖縄の人たちは東京オリンピックをどう思っていたのでしょう?
2020年の東京オリンピックを被災地の方たちも皆と同じ気持ちで楽しめるようにしなければ、オリンピックの成功とは言えないのだと思います。
前回の東京オリンピックは小笠原諸島と沖縄が置き去りとなっていました。
今度の東京オリンピックは被災地が置き去りになることなく開催されることを望みます。
2020年までに復興を完了させ安定した状態に!